確認テスト
「小説神髄」を著し、人間や世の中の姿をありのままに描くべきだとする写実主義を唱えた人物は誰か。
坪内逍遥は、日本の近代文学理論の基礎を築いた人物で、写実主義文学の発展に大きく貢献しました。
「若菜集」などを発表し、ロマン主義文学を広めた人物は誰か。
島崎藤村は、初期にはロマン主義的な作品を発表し、後に自然主義文学の代表的作家となりました。
「吾輩は猫である」や「坊っちゃん」などを著し、反自然主義的な立場から独自の文学を築いたのは誰か。
夏目漱石は、ユーモアと風刺を交えた独自の文体で、日本の近代文学に大きな影響を与えました。
日本の伝統的な木彫りに西洋の技術も取り入れ、「老猿」などの作品を残した人物は誰か。
高村光雲は、伝統と近代の融合を図った彫刻家で、日本の近代彫刻の礎を築きました。
「荒城の月」や「花」などを作曲して、洋楽の道を開いた音楽家は誰か。
瀧廉太郎は、西洋音楽の技法を用いて日本的な情緒を表現し、日本の近代音楽の先駆者となりました。
「たけくらべ」や「にごりえ」などの作品で、庶民の姿を情緒豊かに描いたのは誰か。
樋口一葉は、短い生涯の中で、女性や下層階級の人々の生活を鋭い洞察力で描き、日本文学に新しい地平を開きました。
歌集「一握の砂」や詩、評論を発表し、社会の不平等への怒りなどを表現した人物は誰か。
石川啄木は、短歌や詩を通じて社会問題や人間の内面を鋭く表現し、近代文学に大きな影響を与えました。
「舞姫」などのロマン主義的な作品や「阿部一族」などの歴史小説を著し、独自の文学を開いた人物は誰か。
森鴎外は、西洋文学の知識を活かしつつ、日本の伝統的な題材も取り入れ、多彩な文学作品を生み出しました。
フランスで美術を学び、帰国後、「読書」などの作品を発表して印象派の画風を伝えた人物は誰か。
黒田清輝は、西洋の印象派の技法を日本に導入し、日本の洋画界に大きな影響を与えました。
「無我」などの作品を描き、日本画の復興に貢献した人物は誰か。
横山大観は、伝統的な日本画に新しい表現を取り入れ、近代日本画の確立に大きく貢献しました。