確認テスト
江戸時代後半に多くつくられた、庶民の子どもたちに読み・書き・そろばんを教える教育施設を何というか
寺子屋は、庶民の子どもたちが基礎的な教育を受ける場所でした。ここで学んだ知識は、日常生活や商売に役立ちました。
江戸時代に「古事記伝」を著し、国学を大成した人物は誰か。
本居宣長は、「古事記伝」を通じて日本古来の文化や思想を研究し、国学を体系化しました。彼の研究は、日本の伝統や精神を重視する思想の発展に大きな影響を与えました。
前野良沢らとともに「解体新書」を翻訳・出版し、のちに「蘭学事始」を著したのは誰か。
杉田玄白は、西洋医学の知識を日本に広めた先駆者です。「解体新書」の翻訳は、日本の近代医学の発展に大きく貢献しました。
江戸幕府の命令で全国を測量し、きわめて正確な日本地図を作った人物は誰か。
伊能忠敬は、50歳を過ぎてから測量を学び、全国を歩いて精密な日本地図を完成させました。彼の地図は、現代の地図と比べても非常に正確です。
儒教や仏教、神道などの教えをもとに心学を開いたのは誰か。
石田梅岩は、商人の実践的な道徳哲学として心学を広めました。これは、庶民の間で広く支持されました。
19世紀前半に来日し、長崎で鳴滝塾を開き医学などの教育に当たったドイツ人医師は誰か。
シーボルトは、日本の医学や博物学の発展に大きく貢献しました。彼の教えは多くの日本人医師や学者に影響を与えました。
18世紀末から19世紀初頭にかけて、江戸の町人を中心に栄えた文化を何というか。
化政文化は、文化・文政・天保年間に栄えた町人文化です。歌舞伎、浮世絵、川柳などの芸術が発展しました。
江戸時代には短歌の形式を借りて、風刺や皮肉などをうたう文芸が流行した。これを何というか。
川柳は、5・7・5の短い形式で、人間の日常や社会の矛盾を鋭く批評する文芸です。庶民の間で人気がありました。
化政文化の頃に「東海道中膝栗毛」などの滑稽本を著したのは誰か。
十返舎一九の「東海道中膝栗毛」は、庶民の旅を滑稽に描いた作品で、多くの人々に親しまれました。
化政文化の頃に「東海道五十三次」などの浮世絵を描いた人物は誰か。
歌川広重の「東海道五十三次」は、日本の風景画の傑作として知られ、西洋の画家たちにも影響を与えました。