確認テスト
江戸時代初期に幕府が商人らに与えられた貿易の許可証を何というか。
朱印状は、江戸幕府が発行した海外貿易の許可証です。「朱印」とは、将軍の印鑑(はんこ)が朱色だったことに由来します。この許可証を持つ船を御朱印船と呼び、東南アジアなどとの貿易を行いました。
1612年、徳川家康は直轄領(天領)にキリスト教を禁止する法令を出した。この法令を何というか。
禁教令は、キリスト教の布教や信仰を禁止する法令です。徳川家康は、キリスト教の広がりが幕府の統治を脅かすと考え、この法令を出しました。これにより、多くのキリスト教信者が迫害を受けることになりました。
1637年におこった島原・天草一揆で、中心的な役割を果たした少年の名前は何か。
天草四郎(本名:益田時貞)は、島原・天草一揆のリーダーとされる16歳の少年でした。この一揆は、重税や宗教弾圧に苦しむ農民やキリシタンたちが起こした大規模な反乱で、幕府軍によって鎮圧されました。
江戸幕府は、役人の前でマリア像などを踏ませて、キリスト教徒ではないことを証明させた。これを何というか。
踏み絵は、キリスト教の聖画やマリア像を足で踏ませることで、キリスト教信者でないことを証明させる方法です。この制度は、隠れキリシタンを見つけ出すために江戸幕府が使用しました。信仰を守るか、生命を守るかの厳しい選択を迫られることになりました。
1639年は幕府によって来航を禁止されたのは、どこの国の船か。
1639年、江戸幕府はポルトガル船の来航を禁止しました。これは鎖国政策の一環で、キリスト教の影響を排除し、国内の統制を強化するためでした。
鎖国中に長崎に限って貿易を認められた国は、オランダとあと1つはどこか。
鎖国時代、長崎で貿易を認められていたのはオランダと中国でした。中国との貿易は、主に唐人屋敷で行われ、日本の文化や経済に大きな影響を与えました。
鎖国中にオランダの商館が置かれた長崎の人工島を何というか。
出島は、長崎港に造られた扇形の人工島で、オランダ人が居住し貿易を行う場所でした。ここを通じて西洋の文化や科学技術が日本に伝わりました。
江戸時代に、オランダ商館長が江戸幕府に提出した海外事情に関する報告書を何というか。
オランダ風説書は、オランダ商館長が毎年幕府に提出した海外情報の報告書です。これにより、鎖国下の日本も世界情勢をある程度把握することができました。
江戸時代、将軍の代がわりごとに朝鮮から派遣されてきた使節団を何というか。
朝鮮通信使は、朝鮮王朝が江戸幕府に派遣した外交使節団です。文化交流や親善を目的とし、両国の平和関係維持に貢献しました。
17世紀初め、薩摩藩が兵を送って支配下に置いたのは何という国か。
1609年、薩摩藩は琉球王国(現在の沖縄県)を征服しました。琉球は表面上独立を保ちましたが、実質的に薩摩藩の支配下に入りました。