確認テスト
江戸幕府が開かれて間もない頃にイギリスとオランダの商館が置かれ、貿易が行われたのはどこか。
平戸は初期の対外貿易の拠点でした。後に長崎出島に移されましたが、当初はここでイギリスやオランダとの貿易が行われました。
江戸幕府が開かれて間もない頃に幕府の許可証を与えられた商人らが行っていた貿易を何というか。
朱印船貿易は、幕府から朱印状(許可証)を得た商人が東南アジアと行った貿易です。日本の対外貿易の重要な形態でした。
江戸時代の初期、多くの日本人が東南アジアの各地に移り住んだ。これらの日本人の居留地を何というか。
日本町は東南アジアの各地に形成された日本人コミュニティーです。貿易や文化交流の拠点となりました。
1637年、九州地方で起こったキリスト教徒の農民らによる一揆をなんというか。
島原の乱は、キリスト教の禁止や重税などに反発した農民たちが起こした大規模な一揆です。幕府による鎖国政策を加速させるきっかけとなりました。
1639年、江戸幕府はポルトガル船の来航を禁止して鎖国を完成させた。この時の江戸幕府の将軍は誰か。
徳川家光は3代将軍で、1639年に鎖国政策を完成させました。鎖国とは、外国との交流を厳しく制限する政策のことです。これにより、日本は長い間、外国との交流が限られることになりました。
鎖国中に貿易を認められていた、ただ一つのヨーロッパの国はどこか。
鎖国時代、日本が唯一貿易を認めたヨーロッパの国はオランダでした。オランダ人は長崎の出島という小さな人工島に限定して滞在を許され、そこで貿易を行いました。これにより、日本は西洋の情報や文化を少しずつ取り入れることができました。
江戸時代、江戸幕府と朝鮮との講和を仲介し、朝鮮との外交の窓口となったのは何藩か。
対馬藩は、地理的に朝鮮半島に近いため、江戸幕府と朝鮮との外交を担当しました。対馬藩は両国の関係を調整し、文化や貿易の交流を促進する重要な役割を果たしました。
17世紀初め、兵を送って琉球王国を支配下に置いたのは何藩か。
1609年、薩摩藩は琉球王国(現在の沖縄県)に軍隊を送り、支配下に置きました。しかし、琉球王国は表面上独立を保ちながら、実質的に薩摩藩の支配下に入りました。これにより、薩摩藩は琉球を通じて中国との貿易も行えるようになりました。
1669年、不当な交易を強要する松前藩に抵抗してアイヌの人々が蜂起した。この戦いを何というか。
シャクシャイン反乱は、アイヌの指導者シャクシャインが松前藩の不公平な交易に反対して起こした戦いです。この反乱は、アイヌの人々の権利と文化を守ろうとする重要な出来事でした。
イギリス人で、徳川家康の外交相談役となった人物は誰か
ウィリアム・アダムスは、日本名を三浦按針(みうらあんじん)といい、1600年に日本に漂着したイギリス人航海士です。彼は徳川家康の信頼を得て、外交や貿易の助言者となりました。西洋の知識や技術を日本に伝えた重要な人物です。