確認テスト
大日本帝国憲法で、国の主権者と定められていたのは誰か。
大日本帝国憲法では、天皇が神聖不可侵であり、国の主権者とされていました。これは戦後の日本国憲法で大きく変更されることになります。
大日本帝国憲法では、人権は天皇が恩恵によって国民に与えたものであるとされ、法律で制限できた。大日本帝国憲法ではこの国民の人権を何とよんでいたか。
「臣民」とは天皇の支配下にある国民を指す言葉で、権利は天皇から与えられたものとされていました。これは日本国憲法で大きく変更されました。
憲法にもとづいて行われる政治を何というか。
憲法に基づいて国家権力を制限し、国民の権利を保障する政治形態を指します。これは近代民主主義の基本原則の一つです。
日本国憲法の原案を作成した機関は何か。
第二次世界大戦後の占領期、GHQが日本国憲法の原案を作成しました。その後、日本政府による修正を経て現在の憲法が制定されました。
日本国憲法が公布された日は、現在では何という祝日になっているか。
日本国憲法は1946年11月3日に公布され、翌1947年5月3日に施行されました。5月3日が憲法記念日として祝日になっています。
日本国憲法では国民にあるとされている、国の政治の在り方を最終的に決める根源を何というか。
日本国憲法第1条で「主権の存する日本国民」と明記されており、国民主権の原則を示しています。
日本国憲法で、天皇の地位は国と国民統合の何であるとされたか。
憲法第1条で「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」と規定されています。
天皇の国事行為に助言や承認を与える機関は何か。
憲法第3条で「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」と規定されています。
日本国憲法の三原則のひとつで、第二次世界大戦の反省をもとに生まれたものは何か。
憲法第9条に示される平和主義は、戦争の惨禍への反省から生まれました。戦争放棄と戦力不保持を規定しています。
日本国憲法の三原則のひとつで、第二次世界大戦前に国民の権利を抑圧したことが戦争へつながったとの反省から生まれたものは何か。
戦前の人権抑圧への反省から、憲法第11条から第40条で詳細な人権保障規定が設けられました。