確認テスト
徳川吉宗が、民衆の意見を聞くために設置した投書箱を何というか。
目安箱は、庶民が直接幕府に意見や提案を伝えられる仕組みでした。これにより、吉宗は民衆の声を政治に反映させようとしました。
1841年に天保の改革を始めた老中は誰か。
水野忠邦は、幕府の財政再建と社会秩序の回復を目指して天保の改革を実施しました。しかし、その厳しい改革は多くの反発を招きました。
生類憐みの令を出した江戸幕府の5代将軍は誰か。
徳川綱吉は、仏教の影響から極端な動物保護政策を実施しました。これにより「犬公方」と呼ばれ、批判の的となりました。
18世紀の初めに朱子学者の新井白石が行った、長崎貿易の制限などの政治改革を何というか。
新井白石による正徳の治は、外交政策の見直しや貿易の制限など、幕府の統制強化を図った改革でした。
もとは江戸幕府の役人で、飢饉に苦しむ人々の救済を求めて、1837年に大阪で反乱を起こしたのは誰か。
大塩平八郎の乱は、幕府の無策に対する批判と民衆救済を目的とした反乱でした。短期間で鎮圧されましたが、幕府の統治能力の低下を示す出来事となりました。
1792年、根室(北海道)に来航し、国交を求めたラクスマンはどこの国の使節か。
ラクスマンは、ロシアの女帝エカテリーナ2世の命を受けて来日しました。これは、日本とロシアの初めての公式的な接触となりました。
1837年、大塩平八郎が反乱を起こしたのは、現在のどの都道府県か。
大塩平八郎の乱は、大坂町奉行所与力だった大塩が、飢饉に苦しむ民衆を救うために起こした反乱で、現在の大阪府で発生しました。
1841年に老中水野忠邦が始めた政治改革を何というか。
天保の改革は、幕府の財政難や社会の混乱を解決するために行われました。倹約令の発布や株仲間の解散などが実施されました。
19世紀の初め、江戸幕府の命令を受けて樺太を探検した人物はだれか。
間宮林蔵は、樺太(サハリン)が島であることを確認し、間宮海峡(タタール海峡)を発見しました。彼の探検は、日本の北方領土の知識を大きく広げました。
1839年、江戸幕府が、鎖国政策を批判した蘭学者の渡辺崋山、高野長英らを処罰した事件を何というか。
蛮社の獄は、西洋の知識や思想を学ぶ蘭学者たちが、幕府の鎖国政策を批判したことで弾圧された事件です。これは、幕府の危機感の表れでもありました。